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首都高通勤 [エッセイ]

 2013年、埼玉の大宮近郊に単身赴任していた頃は、日曜の夜9時過ぎに自宅を出て、金曜日の夜に帰って来る暮らしを送っていた。大抵かみさんが作った夕食2食分が入ったタッパー容器を保冷バッグに詰めて、家を出た。その度に何とも言えない物悲しい気持ちになった。昔東北から上野に出稼ぎに出かける人は、こんな気分だったのかもしれない、と勝手に想像した。

 家を車で出て、杉田から湾岸に乗る。そこから延々と夜の湾岸を走り、空港中央を抜け、大井の料金所を通過し、レインボーブリッジを渡って都心に入る。道幅が狭くなる。そこから北へ上がるには、霞ヶ関経由の西側経路と、宝町経由の東側経路があるが、よく使ったのは霞ヶ関経由の経路だった。そこを抜けて護国寺を通り、池袋に入る。
 ここまではほとんど渋滞がないのだが、板橋の合流分岐は深夜でもいつも渋滞していた。それは中台や高島平まで続いた。そこを抜け、川を渡って埼玉に入ると、車の台数はぐっと減った。両側を防音壁で囲まれた単調な道が与野まで続く。与野を出て15分ほど下道を走り、日進駅近くの駐車場に到着。かみさんに無事到着の電話を入れて、賃貸マンションに向かう。マンションに着くのは11時過ぎ。殺風景な部屋ですぐに床に着く。そこから憂鬱な一週間が始まる。

 日曜日に比べれば、金曜日の方がまだ気分は軽かった。洗ったタッパー容器を保冷バッグに詰め、クリーニングに出すワイシャツを持って8時頃部屋を出る。近くのクリーニング屋(ここは安くて良かった)にシャツを預けて、車を出す。この時間帯は、下道も高速もそんなに混んではいない。与野から乗り、南に走る。最初は制限速度80キロだが、戸田辺りから60キロ制限となる。車速に気を付けながら、都内に入る。

 渋滞がなければ、高速ではほとんどブレーキを使わない。何度も走るとこの辺のカーブはこのスピードというのが予めわかるので、アクセルのオンオフでだけで走りきることが出来る。その頃車をディーラーに持っていった時に、走行距離の割りにはタイヤもブレーキも減ってないですね、と言われたことがあるが、それはそのせいかもしれない。
 南に帰る時も西回り、東回りの両方のルートが使えるが、ほとんど霞ヶ関経由の西回りで帰った。宝町経由の東回りは渋滞することが多く、また分岐合流も多かった。西回りであれば、芝公園前までは左車線をずっと走ればよい。その分楽だった。

 芝公園に差し掛かると、ライトアップされた東京タワーが見えた。その夜景は、スカイツリーより美しいと思う。芝公園を過ぎて右に入り、坂を下って合流すると、程なくレインボーブリッジへの分岐が見えてくる。ブリッジを登り始めると、視界が一気に開ける。そして東京ウォーターフロントの夜景が一望に広がる。実に壮大な、見事な景色だ。夜景は行きよりも帰りの方がきれいに見えた気がする。景色を愛でながらしばらく高架を走り、右に入って坂を下ると、ライトアップされた巨大な観覧車が視界に飛び込んでくる。ここの夜景を締めくくる観覧車を見ながら、湾岸に合流する。

 あまり変化のない湾岸をひた走ると、やがてつばさ橋の登りに差し掛かる。そこを上って橋の峠を越えた瞬間に、右手にみなとみらい、左手に本牧埠頭の、横浜の夜景が見えてくる。東京の夜景と比べると流石にこじんまりと見えてしまうが、この景色を見るといつも、帰ってきたな、としみじみと思った。横浜で生まれ育ったわけではないが、人生の中で最も長い時間を過ごしてきた場所である。いつの間にか、故郷のような場所になった。

 ベイブリッジを渡り、引き続き湾岸を行く。ここで車の台数は一気に少なくなる。スピード超過にならないよう、気をつけて走る。すると本牧の左手に石油コンビナートの工場夜景が見えてくる。殺風景な昼間とはうって変わり、SF映画のような幻想的な風景が広がる。ここも好きな景色の一つだ。夜景を愛でたあと、幸浦(なぜか帰りは杉田でなく幸浦だった)から降りて、家路に着く。

 その後転職し、単身赴任はなくなった。あんな生活を送るのはもう二度と御免だが、帰りの首都高のあの夜景だけは、時々懐かしく思い出される。またいつか、レインボーブリッジから本牧までの夜景を眺めるドライブをしてみたい、と思う。

(2015年10月 記)
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