戦艦三笠 [その他]
三笠公園といえば、戦艦三笠。久しぶりにその姿を再見しました。
全長131.7m、排水量15,140トンの、現在の基準からすれば小さな軍艦ですが、日露戦争当時の旗艦で、日本海海戦で活躍したことは多くの方がご存じだと思います。Wikipediaによると、イギリスのヴィッカース社製で、1900年進水、1902年に横須賀に到着したそうです。
正面からの姿はこんな感じ。
海の中を進んで行くイメージが湧きます。
小さな艦橋も見えます。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、東郷平八郎や秋山真之が艦橋の中ではなく艦橋の上に立って、日本海海戦の凄惨な戦況を見届けた、と書いてあります。そのことを思い出しました。
艦体の横から張り出す砲塔は、やはり19世紀の設計、という印象です。
艦の後ろ姿です。
しかし、徳川幕府が倒れて僅か30数年後に、背伸びに背伸びをしたにせよ、このような当時の最新兵器を操って、超大国に戦いを挑んだという日本人のダイナミズムには驚かされます。良かれ悪しかれ、今の日本人が失ったものの一つなのかもしれません。
全長131.7m、排水量15,140トンの、現在の基準からすれば小さな軍艦ですが、日露戦争当時の旗艦で、日本海海戦で活躍したことは多くの方がご存じだと思います。Wikipediaによると、イギリスのヴィッカース社製で、1900年進水、1902年に横須賀に到着したそうです。
正面からの姿はこんな感じ。
海の中を進んで行くイメージが湧きます。
小さな艦橋も見えます。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むと、東郷平八郎や秋山真之が艦橋の中ではなく艦橋の上に立って、日本海海戦の凄惨な戦況を見届けた、と書いてあります。そのことを思い出しました。
艦体の横から張り出す砲塔は、やはり19世紀の設計、という印象です。
艦の後ろ姿です。
しかし、徳川幕府が倒れて僅か30数年後に、背伸びに背伸びをしたにせよ、このような当時の最新兵器を操って、超大国に戦いを挑んだという日本人のダイナミズムには驚かされます。良かれ悪しかれ、今の日本人が失ったものの一つなのかもしれません。
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