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教会のピアノ [エッセイ]

 2014年の夏、私は南ドイツにいた。その春、外資系のエンジニアリング会社に転職し、技術研修を受けるために、7月の下旬に10日ほど南ドイツのある町に滞在した。その町はボーデン湖から車で30分ほど内陸に入った所にあり、「地球の歩き方」にも載っていないような小さな町だったが、中心部は中世の城壁都市の面影を残した、落ち着いた良い場所だった。

 滞在中の宿は、サッカーワールドカップドイツ大会の時の、選手の合宿所をホテルとして改装した、シンプルだが清潔感のある宿だった。そこから歩いて10分もかからない場所に、研修場所はあった。今はだいぶ人数も増えたかもしれないが、当時は従業員40人にも満たない程の、アットホームな雰囲気の小さな会社で、就職先の関連会社だった。

 その年は8月中旬に、すみだジャズフェスティバルへの出演を控えていた。初披露の新曲もあり、しかも私の技量的には難しい曲も多かったので、その時期キーボードの練習が出来ないのは厳しかった。ダメもとで、現地で研修の世話をしてくれる人に事情を説明して、研修後どこかでピアノの練習ができる場所がないか、聞いてみた。すると意外なことに、練習場所が提供できるかもしれない、との回答を得た。

 欧州は始業も早いが終業も早い。研修ということもあって、大抵4時過ぎには終了した。ピアノの練習をしたい旨申し出ると、車でその場所へ連れて行ってもらった。5分程走って着いた場所は、教会だった。教会と言っても石造りの見上げるようなものではなく、小さな木造の教会である。集会所、と言った方が近いかもしれない。中は床と天井が板張り、壁が白壁の礼拝堂になっていた。ナチュラルでモダンなデザインだ。最大100人程度は入れるだろうか。祭壇の横にエレピが置いてあった。「この時間帯は誰も来ないから、6時くらいまで使っていいそうだ。帰る時は、そのまま帰ればいい。」そう教えてくれた。1人になると早速練習を始めた。

 エレピのメーカーは忘れたが、割と最近の型だったと思う。アコースティックピアノ、エレピアノ、オルガンなど音色が選べるようになっていた。ライブではオルガンの音色を使う曲もあったので、ありがたかった。セットリストは7曲、うち"Green Earrings", "Midnight Blue", "Cold Duck Time "の3曲が新曲だったので、それらを重点的に練習した。ジャズ系の曲はまだしも、Steely Danの"Green Earrings"のようなロック系の曲、しかも弾き語りの曲を教会の中で演奏するのは、かなり気が引けた。誰も来ないように願いながら、練習するしかなかった。

 初日の練習は、問題なく終わった。次からは、研修所から教会まで歩いていくことにした。研修所左の細い道を歩き、幹線道路のガード下をくぐって程なく、閑静な住宅街に出る。しばらくまっすぐ行って右折し、数十メートル歩くと教会に着く。歩いても15分かからないくらいの場所だった。滞在中そこでは3,4回練習したと思う。おかげでライブ前の追い込み練習が出来、大変助かった。

 練習のルーチンとして、練習の前後にバッハのゴールドベルグ変奏曲のアリアを弾くことが多い。シンプルな曲で指慣らしにも良いし、練習後のクールダウンにも良い。教会での練習時も、最初と最後にこれを弾いていた。この曲だけは、小さな教会の雰囲気に良く合っていた。

 その日の練習も一通り終わった。時間は6時を回っていたが、夏なのでまだ昼間の明るさだった。いつも通り、締めの変奏曲を弾いた。何十年も弾いてる曲だが、不思議と飽きない。その日の気分でテンポや弾き方も微妙に違う。ゆっくりと時間が流れ、その日の演奏を弾き終えた。すると、不意に拍手の音が聞こえてきた。見ると、知らないおじさんが入り口そばの椅子に座っていた。教会の管理人さんのようだった。少し恥ずかしかったが、思いがけない拍手がもらえたのは嬉しかった。そそくさと後片付けを済ませ、改めてお礼を言って教会を出た。

 しかし、聴いてもらった曲がゴールドベルグで良かった。Steely Danだったらどんな反応だったろうか? 興味はあるが、今となっては知る由もない。

(解説)これはその時の教会の写真に自分の演奏を組み合わせて作ったもので、「動画」ではありません。写真右隅に少しだけエレピが写っています。演奏は、2004年に自宅で録音したものです。
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