SSブログ

緑のバリケード [エッセイ]

 大学時代(1980年代)、私は練馬区桜台のアパートに住んでいた。木造二階建ての古いアパートで、部屋は六畳一間と小さな台所、風呂はなく、トイレは共同だった。アパートの裏手に大屋さんの家があり、月に一回、家賃を払いにその家を訪れた。家は縁側沿いに廊下の走った、昔ながらの日本家屋で、比較的広い庭がついていた。門をくぐって玄関まで、敷かれた丸い飛び石伝いに歩いたことを覚えている。大抵応対に出てくるのは、当時60代くらいの大変品のいい婦人で、たまにその母親と思われる80代くらいの婦人を一緒に見かけることもあった。

 それから約20年後、夏休みに思い立って、かつて住んでいた場所を訪れたことがある。駅はいつのまにか高架になっていた。アパートそのものは立て替えられ、新しい賃貸住宅になっていたが、馴染みの定食屋や床屋、銭湯はそのままで、懐かしい思いがした。

 懐かしさに任せて辺りの路地をぶらぶら歩いていると、住宅街の一角に忽然と、密度の高い小さな森が現れた。違和感を感じながらもその前を通過した時に、何かが心に引っ掛かった。引き返してみると、森の前には門の痕跡があった。しゃがんで中を覗くと、低くまで生い茂った森の奥に消えていく飛び石が見えた。そこはかつての大屋さんの屋敷跡だった。
 大屋さんの屋敷は誰にも受け継がれないまま、庭の植木に呑み込まれてしまっていた。出来上がったその森は、何者の侵入をも拒む緑のバリケードとなっていた。

 さらに14年が経った。Google EarthのStreet Viewを使って桜台を再訪してみた。賃貸住宅は既になく、数軒の一軒家に変わっていた。床屋はまだ残っていたが定食屋は2017年10月末で閉店していた。銭湯はリニューアルされてモダンな佇まいに変わっていた。町並みから昔の面影は、ほぼ消え失せていた。
 そんな中、大家さんの屋敷の周りは、白いブロックの土台に立った茶色のアルミフェンスで囲われていた。フェンスの一角には門扉も付いていて、それらは最近作られたもののように見えた。ただ、中の建屋は昔のまま、樹木も手つかずで、廃墟になったまま封印されていた。滅んだ状態を敢えて保存しているようにも見えた。

 それを見た時の印象を言葉にするのは難しい。時の経過と、個人の記憶と、風化と変転の進む現実と、それらが交錯してその印象は形作られ、その実感は、結局無常観につながるのかもしれない。そんな気がした。

2019年8月 記
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。